【デザインあ展】〜究極の『あ』になった男の裏側〜

ネタ

これは詩ーパースター福本が【デザインあ展】にて、自身が究極の『』になるまでの裏側を綴った文章である。

※デザインあ展の基本情報やレポはこのページにありませんのでご了承ください。

 

ここでは一人の男の挑戦を記していく。

事の発端はこうだ。

デザインあ展】という展覧会が2018年夏に東京で始まった。

入ってすぐにこの展覧会のシンボルとも言えるパネルがある。

こちらだ。

空いているスペースに立って自分が『あ』になれるという何とも愛らしい憎らしい仕組みだ。

参加体験型の写真スポット、お見事。

 

デザインあ展と調べるとインスタやTwitterで楽しそうに『あ』になる人たちを見て微笑ましい気持ちになる。

…と老人みたいな事をしている場合じゃない。自分も参加する側に行かなくては。

そして、僕は思ったわけだ。

 

になりたい。どうせなるやるなら完璧に。誰よりもになる。究極のになってやる

 

何を言っているんだ?「誰よりもあになる」という日本語を我ながら初めて見た。

しかし、火がついてしまったのだから仕方ない。

そうだ、今年は平成最後の夏だ。極めて個人的なことでもいい。しょうもなくていい。思いっきり楽しもうじゃないか。

福本
究極のあになってやる!!

あになる人々の写真を分析

さて、心に着火してから究極のあになるための分析が始まった。優秀な武将は戦略を立てることに力を注ぐのだ。

Twitterやインスタで画像を貪るように見た。その中で参考にさせていただいた画像を並べてみる。

あえての後ろ向き。写真としてはすごくいい。

しかし僕の夏にはそぐわない。究極のあを追求したら、体の向きは横じゃなきゃいけない。とにかく細く。これはきっと必須条件。成人男性の肩幅が発動した時点で太さが出てしまう。

 

・体の向きは横。

とても参考になりました。フミタカさんどうもありがとう。

 


続いて、

女性のあは良い。あになる女子はすべからく可愛い。そしてこっちを向きがち。仕方ない。それでいい。全ての女子よ笑ってこっちを向いてくれ。

が、福本はただ可愛さを感じて無意味に顔をほころばせて終わる男ではない。僕はここから確実に学びを得ることができる人間だ。

可愛さ重視、思い出を残すという観点から言うとこっちを向くのは普通だし、写真としては大正解である。

 

 

しかし、忘れてはいけない。

 

 

目的が違う。

 

 

僕は究極のあになると決めたのだ。

 

みんなと同じように楽しむ道は残されていない。ある種、クールになってプロフェッショナルを突き通さなければなければいけないのだ。

 

・顔はまっすぐ。

ミス専修候補・天崎さんどうもありがとう。


続いて、

これは素晴らしいものを見つけてしまった。仕上げてきている方がいた・・・。全身黒。

身体は綺麗な直線になり、あに入り込んでいる。役作りの努力がこの一枚からにじみ出ている。

素晴らしい。素晴らしいんだけど、どこかに違和感がある。何だろう。何がいけないんだろう。

 

そうだ。僕は気付いた。

 

 

腕だッ!

 

 

せっかく全身を黒くしても腕が入り込んだ時点でもう究極ではなくなってしまう。

この腕の肌色との向き合い方が大きな鍵になりそうだ。

 

しかし、季節は夏真っ盛り。長袖なんか着れたもんじゃない。

ん?みんな暑くて長袖を着ない。これはむしろチャンスだ。僕はここに勝算を見つけた。

長袖なんか持参すればいい。黒の長袖ジャージくらい持っている。

撮影の時だけこいつを着ればいい。

一気に青写真が見え、僕の胸は高鳴った。

 

・全身黒。腕は隠す。

YUさんどうもありがとう。


ちなみに《番外編》

数多の画像を見る中で最もキュートだったのは原田曜平さんだった。全然あになれてない。

もしかしたらあの女神の気に触るような事をしてしまったのかもしれない。その辺りの妄想も含め、ほっこりした。

 

・手は伸ばさないほうがいい。

原田さんどうもありがとう。

いざ出陣!

さぁ準備は終わった。僕の夏が始まる。

服装も決まった。あとは実行し、写真に収めるだけだ。

戦場はここ。日本科学未来館。

僕が行った時はものすごい人だった。

パネルの前には長蛇の列。20人以上はいただろうか。とにかく戦いの時を待つ。

 

 

さぁ自分の番が来た。ジャージを羽織ってあになる!!

曲線を表現するために反ってみた。

うーん。ちょっと反りすぎたか。

 

小田和正し過ぎた。

 

あまり長い時間撮りすぎても迷惑になるので数枚撮って一旦、終える。

もちろん1回で仕留められるなんてそんな甘いことは考えていない。

また長蛇の列に並ぶ。

 

 

そして2回目。

反省を活かしてあまり反らずにシンプルにいった。

なかなかいい感じじゃないか。

さぁ次は逆向きでもやっておく必要がある。どっち向きが正解かはこの時点ではまだわからないから。

 

また列に並ぶ。言っておくがこの時点でめちゃくちゃ恥ずかしい。

ヒソヒソ声や視線を感じている。しかしこちとら究極のあになると決めたのだから逃げるわけにはいかない。

 

 

3回目。

かなりいい感じ。向きはこっちか。

かなり芯を食ったような気がする。

が、せっかくのタイトルの『』に頭がダブってしまっている。

もちろん撮ってる時点ではわからないのでまた列に並び直して確かめて次の修正を目論む。

次は首を曲げよう。

 

おまけ。休憩がてら。

こども用でも一応。

自分が巨人になったような錯覚。

これはこれで楽しい。

さぁ次で戦いを終わらせにいくよ。

 

 

列に並ぶのにも壇上に上がるのにも慣れた4回目。

 

 

 

 

来た!!!

 

 

 

 

これだ!

 

角度。あの形状。空白。

僕は究極になった。

これこそが究極のあだ。

 

 

 

平成最後の夏、僕は究極のあになった。

 

 

僕はあになった。

 

 

列に並ぶこと4回。恥ずかしい思いもしたけど目的を達成できた。

 

今回の一連の流れを抽象化して普遍的な要素にして並べてみる。

 

衝動・想いから始める

楽しくする

分析する

形にするためのアイディアを出す

勝算を見つける

実行する

その場で修正をする

(心折れない)

完成させる

 

 

始めは究極のあになるという、すっとんきょうで個人的な願望だったけど、プロセスを分解すれば意外と何かの役には立ちそうな、立たなそうなものになった。

 

まぁ難しいことは考えず、少しでも笑ってもらえたら僕は満足です。

 

福本
ここまでお読みいただき、どうもありがとうございました!!

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